中村敬治『現代美術巷談 その後』
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    美術批評家、故中村敬治さんの遺著『現代美術巷談 その後』(水声社、2000円+税)が出版されました。




    中村さんが、『現代美術巷談』を2004年6月に出して以後、2005年3月に亡くなられるまでの文章が収められています。

    その中に、『美術手帖』2004年6月号に掲載された、河合政之についての批評「可愛げのない河合の神学」が再掲されています。


    「河合の作品は描写しようとはしない。煽動するだけである。身辺を叙述するのではなく、身辺がおかれている構造を可視化しようとする。」(抜粋)


    また、亡くなる直前、2004年後半の日記が掲載されていますが、その中で中村さんは、河合がトーキョーワンダーサイト本郷でおこなった個展「不在者を観ることについて」に関して言及されています。


    「神をとりのけた Bill Viola。河合には神はない。ない神を探すふりだけをしてみせる。意味をもってはいけない映像。神なんてどうせ見つからないのだから。」(抜粋)


    ご存命中は私や仲間たちの企画する小さなイベント等にも足を運んでくださり、日本ではあまり評価されない私たちの活動にも、細やかな関心と理解を持って頂けた数少ない方のお一人でした。

    日記の文章などに書かれていることからも、短い言葉ながら、非常に鋭い感覚で、しっかりと作品を見て頂いていたことが感じられ、感に堪えません。

    私は2005年当時文化庁による派遣先のNYで、中村さんの訃報に少し遅れて人づてに接しました。その前日本でお会いしたときは、お元気そうに「これからまたいろいろやる気になってきたから、よろしくな」とおっしゃっていたので、大変ショックを受けたことを思い出します。

    謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。
    | writing | 02:18 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
    映像編集の理論と実践
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      先月出版された『映像編集の理論と実践』(法政大学出版局、金井明人/丹羽美之編著)という本の中で、8人の著者の一人として、「ヴィデオ芸術の編集と美学」という論考を河合政之が書いています。


      ちなみに、表紙の写真も河合の「われわれ自身よりもさらに儚い、このさまよえる者たちは誰か」から使われています。





      「映像編集」という、一見マニアックなテーマですが、単に編集の方法などについてではなく、編集という立場から、新しいヴィデオ・アートの美学の可能性を探ろうとする論考です。


      冒頭:
      「ヴィデオ芸術の編集について美学的に考察するということもまた、一筋縄ではいかない、迂回と飛躍に満ちたひとつの困難な道程となるだろう。そもそも根源的な思索とは、おしなべてそのようなものである。加えて芸術とは、単純に言って、既成のものすべてに妥協なき問いを突きつけるものである・・・」


      この論考の中では、映画や現代美術といった既成のジャンルとの、比較=歴史論的な考察の後に、河合独自の美学的な理論の試みとして「反映劇」という概念が示されます。


      書店や図書館などで見かけたら、どうぞ手に取ってみてください。

      | writing | 21:15 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
      フリーマガジン SOMEONE'S GARDEN 6号に写真&エッセイ
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        先日、2008年5月25日発刊のフリーマガジン、"SOMEONE'S GARDEN" 6号に、河合政之の作品「われわれ自身よりもさらに儚い、このさまよえるものたちは誰か」写真と、エッセイ「孤独と読書、愛について」が掲載されています。

        「思想疾走失踪」という連続企画で、毎回異なる人が登場するエッセイ欄です。



        "SOMEONE'S GARDEN"は、都内を始め、さまざまな地域のカフェやショップ、ギャラリーなどに置かれています。



        http://someonesgarden.com/

        に設置場所の情報などがあります。

        エッセイの冒頭を、ちょっとだけ紹介します。

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        孤独と読書、愛について

         「孤独」とは、いったい何だろうか。

         いま、この文章を、家で、あるいは街のカフェで読んでいるあなたは、孤独なのだろうか。あなたは答えるかもしれない。「わたしは孤独ではない。なぜなら孤独は、なにか充たされないことを言うのだから。だが、読んでいる今のわたしは、この読書の時によって充たされている」と。だが、本当にそうだろうか。読むということもまた、ひとつの孤独の現れなのではないだろうか。

         あなたがこれを読むということは、文章を書いているわたしとの間に、ひとつの想いを通わせることであるだろう。書き手と読み手の密やかな共謀関係。それは、周りのあらゆるものを閉め出して、こっそりと行われる密儀のようなものだ・・・・・・・・
        (続きは誌上にてどうぞ)

        | writing | 15:31 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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